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1960年 政治家であり事業家のコ
安實蔵*1(郵相・総理府総務長官・自民代議士会長・自民道路調査会会長・日本遺族会顧問)の次男として東京で産声をあげる。 |
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幼稚園は清明学園とみこころ幼稚園に通いました。引越し等で転園しました。
呑気な小学生生活を送るも、2年生のときに隣家からもらい火をし、全焼という被災を経験しま
した。学区の変わるところへ一時的に引越ししたので転校という事態が待っていたのですが、どういう訳か登校拒否、結局越境という方法で元の学校へ通わせて
いただきました。(多分、幼稚園での転園で味わった寂しさが思い出された???)
中学受験も経験しました。当時ではまだ珍しい、有名中学に入るため
のお塾へ通いました。
ケーキ屋さんの子どもがいたので、おやつにケーキが出たりして(当時はケーキは珍しかったんですよ)、みんな喜んでいた記憶があります。静岡から通ってき
た者もいました(開成に行って京大の医学部に進学したと聞いていますが・・・)。 |
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中学・高校・大学生活は、皆さんとあまり変わらない生活だったと思います。中学
ではラグビーをちょっと経験(根性なく??秋には退部、でもここが、今の私の原点になったん
です。下記「出会い」参照)、アマチュア無線(ちょっとおたく系)のサークル代表、高校では柔道のサークルに入るも、負傷してしまい学業のみに専念しまし
た。
ただ異なる点は、高校・大学時代は旅行と写真が好きだったので、あちらこちらに行った記憶が
あります。初めての海外旅行も大学1年生のときです。福田和也(現文芸評論家)君とフランスとイタリアに2週間行きました。多分、旅本で紹介されている、
日本人がハマル海外旅行におけるトラブルはほとんどここで消化(風呂からお湯があふれ洪水とか・・・・)しました。
写真もいっぱい撮りました。旅行も写真も中東地域がメインの活動場所で、レバノン侵攻地への
立ち入り許可をもらい、イスラエル側から入ったり、サダト大統領暗殺直後のカイロにいたり、今考えても親に心配をかけた小僧だったと思います。 |
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いけばなに遭遇し
たのも大学生時代です。今でも続けており、草月展などには毎年出展、後輩の指導に当たる(慶応義塾大学華道会、先代の師範がお亡くなりになったあと、OB
会より依頼され、私がボランティアで現在も後輩の面倒を見させていただいております)ような状況です。
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| いけばなといえば、
慶応義塾が主催する2度目の世紀送迎会(100年に1回ですから、前回は100年前で、福沢諭吉先生が主催)の飾り付けのプロデュースをさせていただきま
した。鳥居塾長(当時)や橋本元総理、竹中平蔵教授、藤田元求人軍監督等そうそうたる方々が登場する3会場でした。ありがとうございました。 |
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