一層の神奈川県政改革推進を目指し、「 川崎市民のための神奈川県政」運動を進めている男、徳安久是を全解剖してみよう
まず・・・何をしている男かというと・・・

神奈川県議会議員浪人中(平成21年に初当選したが、残念ながら2期目チャレンジで落選)である。

ファイナンシャル・プランナー、自称写真家、草月流1級師範、などといろいろな顔を持っているが、実は
すでに毎日のように、川崎市長当時の阿部孝夫の政策秘書として神奈川県のことを考えていた・・・らしい。


年表(学歴・職歴等)



出    生

1960年

10月9日 (A型 東京生まれ)

学    歴

1976年

慶應義塾中等部卒業

1979年

慶應義塾高等学校卒業

1979年

慶應義塾大学経済学部入学

1983 年

同校  卒業

職    歴

1982年

衆議院議員 村上勇事務所秘書(自民・大分県・村上派首領・郵相・建相・日本遺族会会長)

1985年〜

徳安實蔵事務所秘書(自民・鳥取・郵相・総理府総務長官・自民代議士会長・自民道路調査会会長)

財団法人芝青年会館 理事 事務局長
株式会社社会行動開発研究所 代表取締役
運輸新聞株式会社 代表取締役(国会記者クラブ・運輸省記者クラブ)
日本放電株式会社 取締役
社団法人農村資源開発協会 常任総務(分掌:月刊農業食糧編集、経理)
社団法人環境生活文化機構 事業部長(分掌:リサイクルマーク事業、経理)
株式会社日本エコエネルギー研究所総括主任研究員(風力発電や燃料用エタノールなど新エネルギーを地方自治体が利用するためのビジョン策定コンサル)

2001年

川崎市長阿部孝夫政務活動専任秘書

2007年〜2011年

神奈川県議会議員

2011年〜2013年

衆議院議員 後藤祐一 政策秘書



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資格・役職



◇資格・役職
  • 中原区文化協会会員
  • 川崎市茶華道協会準理事(草月流師範会一級師範顧問)
  • 丸子どんど焼保存会会員
  • 一般社団法人 日本エチオピア協会会員
  • 国会議員政策担当秘書資格ホルダー(平成13年取得)
    (推薦議員 松沢成文衆議院議員・現参議院議員) 
  • ファイナンシャル・プランナー(CFP®1級FP技能士)

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教育・文化活動



◇講師活動暦等
  • 基金訓練(厚生労働省)FP養成講座(日建学院)講師
  • 日能研 算数講師
  • 関東学院大学生涯学習センター
  • 学習院大学生涯学習センター
  • 郵便局暮らしの相談センター相談員
  • 大和證券土曜セミナー
  • FP技能士(厚生労働省)検定2級特例講習(NPO法人日本FP協会)
  • 簿記講座 (ダイエックス、旧大栄経理学院)
  • 日本FP協会認定 ファイナンシャル・プランナー養成講座、同CFP養成講座(ダイエックス、旧大栄経理学院)
  • 日商検定DC(確定拠出年金)プランナー養成講習(FP研究所)           他

◇文化・ボランティア活動
  • 中原区役所のお花を輪番で担当
  • かわさき国際友好使節(エチオピア訪問)
  • 東日本大震災被災地ボランティア
  • 日独交流150周年記念・ロイドパサージュ商店街友好20周年記念、モトスミ・ブレーメンバンド ドイツ・ブレーメン演奏会における東日本大震災募金活動
  • 慶應義塾大学華道会 指導師範(華道 草月流 一級師範)
  • 生花教室(アトリエ高橋)

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主な著書



◇主な著書
  • 自分を活かすビジネスマン得生活情報(旬報社)
  • 女の子のためのExamination Guide(三弥生書店)
  • やったぜ合格FP技能士2級、やったぜ合格FP技能士3級、やったぜ合格FP技能士3級問題集 担当:不動産(日本法令)
  • すぐ使える現代ビジネス百科 担当:法律、社会保障他(主婦と生活社)
  • ファイナンシャルプランナー養成講座テキスト 不動産(U−CAN)
  • CFP養成講座テキスト ライフ・リタイアメントプランニング(ダイエックス)
  • まるごと覚えるファイナンシャルプランナーポイントレッスン、FP2級技能検定合格問題集 以上共著(新星出版)
  • FP技能検定2級精選過去問題集学科編、同実技編、FP技能検定3級精選過去問題集、直前対策FP技能検定2級一問一答問題集学科編・直前対策FP技能検定3級一問一答問題集、FP技能検定2級精選テキスト、FP技能検定3級精選テキスト 以上共著(すばる舎)、FP技能士3級基本書(建築資料研究社)       他

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趣味・座右の銘



◇趣味:写真、旅行
◇ 座右の銘:思いやり

影響を受けた人物



阿部孝夫(川崎市長):
仕事への取り組み
西尾修(慶応義塾大学名誉教授):
人間育成

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自身が振り返り語る、今まで・・・

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1960年 政治家であり事業家の 徳安實蔵*1(郵相・総理府総務長官・自民代議士会長・自民道路調査会会長・日本遺族会顧問)の次男として東京で産声をあげる。
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幼稚園は清明学園とみこころ幼稚園に通いました。引越し等で転園しました。
呑気な小学生生活を送るも、2年生のときに隣家からもらい火をし、全焼という被災 を経験しました。学区の変わるところへ一時的に引越ししたので転校という事態が待っていたのですが、どういう訳か登校拒否、結局越境という方法で元の学校へ通わせていただきました。(多分、幼稚園での転園で味わった寂しさが思い出された???)
中学受験 も経験しました。当時ではまだ珍しい、有名中学に入るためのお塾へ通いました。
ケーキ屋さんの子どもがいたので、おやつにケーキが出たりして(当時はケーキは珍しかったんですよ)、みんな喜んでいた記憶があります。静岡から通ってきた者もいました(開成に行って京大の医学部に進学したと聞いていますが・・・)。
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中学・高校・大学生活は、皆さんとあまり変わらない生活だったと思います。中学ではラグビーをちょっと経験(根性なく??秋には退部、でもここが、今の私の原点 になったんです。下記「出会い」参照)、アマチュア無線(ちょっとおたく系)のサークル代表、高校では柔道のサークルに入るも、負傷してしまい学業のみに専念しました。
ただ異なる点は、高校・大学時代は旅行と写真 が好きだったので、あちらこちらに行った記憶があります。初めての海外旅行も大学1年生のときです。福田和也(現文芸評論家)君とフランスとイタリアに2週間行きました。多分、旅本で紹介されている、日本人がハマル海外旅行におけるトラブルはほとんどここで消化(風呂からお湯があふれ洪水とか・・・・)しました。
写真もいっぱい撮りました。旅行も写真も中東地域がメインの活動場所 で、レバノン侵攻地への立ち入り許可をもらい、イスラエル側から入ったり、サダト大統領暗殺直後のカイロにいたり、今考えても親に心配をかけた小僧だったと思います。
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いけばなに遭遇 したのも大学生時代です。今でも続けており、草月展などには毎年出展、後輩の指導に当たる(慶応義塾大学華道会、先代の師範がお亡くなりになったあと、OB 会より依頼され、私がボランティアで現在も後輩の面倒を見させていただいております)ような状況です。
いけばなといえば、慶応義塾が主催する2度目の世紀送迎会(100年に1回ですから、前回は100年前で、福沢諭吉先生が主催)の飾り付けのプロデュースをさせていただきました。鳥居塾長(当時)や橋本元総理、竹中平蔵教授、藤田元求人軍監督等そうそうたる方々が登場する3会場でした。ありがとうございました。
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もうすっかり大人になってしまいました
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社会人としての活動は、慶応義塾大学在学中、衆議院議員田村元*2(衆議院議長・通相・労相・運相)先生に預けられ、村上勇*3 (村上派首領・郵相・建相・日本遺族会長)事務所の秘書と;して行儀見習いにだされました。父が政治家だったので父の跡継ぎということでした。
父の体調が優れなくなったので、父の仕事を手伝うようになりました。このとき任されたのが、財団法人の運営 でした。この法人は会議室やホールを持っており、接客業の仕方や公益法人の運営 方法、公益法人の特殊な会計を習得したのは大きな成果でした。
父の死後、この財団から去らなければならないような事態がおきたのはとても残念でした。理事長職を父からある方にバトンタッチしてもらう下準備をしたときに、ある方から忠告された言葉が思い出されます。「軒下を貸して母屋を取られるようなことになってはいけませんよ」。一生懸命やっても、人様の欲の目にはかないません。
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教育関係の仕事 にはとても関心がありました。日能研さまと契約(小学生時代に超有名お受験塾に通っていたことが採用の決めてだったようで)し、講師として算数を教えたり、教育関連の出版物を手がけたりしたのもこの時期です。赤本を出していた教学社さまの編集の方から、「このような受験の本のスタイルは見たことがない」というようなご感想のお手紙をいただいた記憶があります。「女子大・短大がいかに楽しいところか」を全面に打ち出したもので、確かに画期的だったと思うところです。
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父の死後、残された会社(運輸業界では一番古い業界新聞)や私自身が設立した会社を経営したのですが、いずれも希望される方に経営をお願いし、事業経営から撤退しました。
私のポリシーに合わせようとすればするほど、・・・経営能力が今ひとつのようで・・・・。
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その後、いろいろな勉強をしていましたが、仕事の先輩からの勧めもあり、ファイナンシャル・プランナー となり、人様の役に立つ相談業務を中心に、環境問題(環境省所管)や食糧問題(農林水産相所管)を扱う公益法人の運営や事業に参加しました。
資源循環型社会や環境農業など、公害等も含めて都市部、農村部における環境問題の知識を広く習得したことは大きな財産となりました。



この時期に係った
事業 環境問題:
  • 使用済みユニフォーム等の繊維をリサイクルするシステム、
  • サーマルリサイクル、固形燃料化、軽量ガラス統一瓶普及など 食糧・環境問題:有機栽培等の安全な食糧供給について、
  • 環境保全型農業導入、都市型農業の促進、ゴミの肥料化(コンポストやバイオ等)、
  • 農業関連の産業廃棄物のリサイクル問題など
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ある日、中学時代に面倒を見てもらったラグビー部の先輩である松沢成文*4 (現神奈川県知事)さんから、選挙通の君なら安心できるので、阿部孝夫*5 (当時法政大学教授)さんという人の川崎市長選挙を手伝う気はないかと持ちかけられたのが阿部孝夫市長との出会いです。
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阿部市長が初当選後、次の選挙までの間、お時間を頂き環境問題を勉強 しました。このときに携わった仕事が、エネルギー問題でした。今クローズアップされているバイオエタノールについてであったのもこの時期で、画期的なプロジェクトとして2年にわたり、佐治村(現鳥取市)の方々と共に一生懸命取り組みました( NEDO補助事業)。



この時期に係った事業:
  • 鳥取県福部村(鳥取砂丘の村です。現鳥取市)地域新エネルギービジョン策定業務(風力発電に伴うLCA分析、鳥取砂丘における風力発電の可能性(砂丘内での風力精査)
  • 鳥取県佐治村(現鳥取市)地域新エネルギービジョン策定業務、バイオエタノール製造のためのプロジェクトとして、同重要テーマに係る詳細ビジョン策定、同事業化フィージビリティスタディ調査、佐治村内における風力精査
  • 島根県鹿島町(原発のある町、現松江市)地域新エネルギービジョン策定業務(この地域では、風力発電を中心に研究調査しました)
  • 新潟県三和村地域新エネルギービジョン策定業務(この地域では、稲わらや農業廃棄物の燃料化の可能性について研究調査しました)
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当選
そして
落選
当選して議員になり、県民の皆様のためにお役にたつ活動をしてまいりましたが、残念ながら2期目の挑戦は、落選(涙)。
人生崖っぷちに立つも、衆議院議員後藤祐一に拾われ、政策秘書として約3年間再修業。国政の観点から県民サービスの提供をしてまいりました。「大都市制度導入」「京浜臨海部におけるライフサイエンス分野の国際戦略総合特区構想」などは後藤代議士と一緒に取り組んできたものです。
落選するとあっという間に人が去るものですが、この期間に地元有志の皆さまからなる後援会が複数できたことは、うれしい限りです。
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最後まで読んで下さった方、本当にありがとうございます!!
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長々と紹介させていただきましたが、トクヤスを少しでもご理解いただけたら嬉しいです。
他にも知りたい!ということがございましたら、info@tokuyasu-world.com まで、メールでご質問下さいね!
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